覚書:「おばさんたちが案内する未来の世界」と「中距離を語る言葉」/周防正行は「映画は観客が育てる」と言った 2007年12月14日(金)曇 午後の気温は10℃だけどもうちょっと寒く感じる
小沢健二&エリザベス・コールの「おばさんたちが案内する未来の世界」を見て一週間になるが、納得いかない感じは消えない。作品の内容はまあまあよかったと思うんだけど。
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突然「ハ・ヒ・ホ、ヘンテコリン」という音が浮かんだのは、WOWOWの番組表に『変態テレフォン[R-15指定版]』という文字を見つけたからだ。1999年に閉館した「ピンク映画」の牙城、亀有名画座で最後に上映された映画の一本として見た。ピンク映画の通例に倣い、ほとんど内容を表さないタイトルが付いているが、これは映画についての映画である。力作なので、WOWOWに加入している人はぜひ見てもらいたい(15日深夜放映)。
話のなかに、一人で自作の8mmを上映して回っている思い込みの激しい青年が出てくる。青年はちょっと頭のネジがゆるい風に描かれていて、いつも冒頭の言葉をつぶやきながら歩いている。自作の8mm映画はなんというかむちゃくちゃなもので、それを鑑賞した主人公は苦笑しながら「それにしてもひどい映画だな」と一緒に見ている妻に言う。妻はその映画にいいところを見つけて夫に言う。作家自ら巡回上映する映画がかかっていて、観客が思い思いの感想を表明するという幸せな構図。
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「おばさんたちが案内する未来の世界」は、よくできていた。でも、奈良の会場に来ていたお客のようすを考えるに、ちょっと高級すぎるのではないかとも思う。たとえば、背景の説明がほとんどなく、いきなり南米に放り込まれる点。映像の内容は具体的だが、わが国の“東京”あるいは“郊外”的な風景とはまったく異質な世界として映っているので、プラスチックとコンクリートの社会にどっぷりの人がいきなり見ても、目が滑っちゃって、何が描かれているかを読み取れないと思う。よっぽどよく見ないと、あるいはあらかじめ受容体がないと、彼らの言いたいことや言いたくないことは伝わらないのではないか、という懸念は消しがたい。
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奈良の上映会のあとのカナカナでのトーク。ある参加者が、自分は“灰色”との戦いに絶望しかかっていて、いっそ世界中でいっぺんに大地震でも来ればと思う、というような意味のことを言った。オウム真理教の惨事を知らない世代とも思えなかったが、この考えはまさにカルトの温床だ。そもそも、実際に世界が崩壊したら、まず立ち上がってくるのは“灰色”だろう。オザケンはその場でその想念の危険さについてコメントすべきだったが、しなかった。これはよくない。
わしもよっぽど言おうかと思ったが言わなかったのは、その場の関係性が、平場でなかったからだ。明示されてはいなかったが、あきらかに「オザケン(+エリザベス・コールという人)⇔参加者」という、談論風発とはいかない設定だった。ネットワーク・トポロジーの言葉でいえば、メッシュ型でなくスター型。中心はオザケンで、参加者同士は事実上分断されていた。古典的なセクトの情報分断術とか、カルトの統治手法が連想されて困った。明示しないところが特に。
個人的には不快かつ残念な感じを受けたが、もしかすると地元で企画してくれた人や他の参加者はその関係性で満足しているのかもしれず、それを壊したときの結果が想像できなくて、どうにも憚られた。
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ちゃんとした客のいないショーは不幸だ。「ラストショー亀有名画座」では、ピンク映画出身である周防正行の代表作(?)『変態家族 兄貴の嫁さん』もかかっていた。小津映画の筆致を拝借した、不思議な愛に満ちた映画だ(これも以前WOWOWで放映されたことがある)。上映当日、周防監督が寄せたメッセージが印象的だった。曰く、映画は観客が育てるもの。作られたところから始まって、見る人がいて、気に入ってくれる人がいて、年月が経っても「ぜひ上映したい」とフィルムを借りに来る人もいて、お客に見られることで映画は成長していくのだと。
「おばさんたちが案内する未来の世界」は、これから育ててくれる観客を得ていくことができるだろうか。来ていた客は、心のチェックシートの「見た」という項目に印を付けることで満足するのでなく、ちゃんと映画の中身と向き合ってくれているだろうか。
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「おばさんたちが案内する未来の世界」で試みられているような行為を見るたび、思い出される言葉がある。
「宇宙の根源を見つめること」それは「遠くを見ること」だ。世間という名の日常は「近くを見ること」から成り立っている。わたしたち人類の歴史は、そのほとんどが近視の歴史だった。目先のことを考え、目先の対処をすることで、時代が、歴史が、動いてきた。
>正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと
賢治(宮沢賢治)はそう語り「遠くを見ること」を教えてくれたが、それを現実のなかで育てる方法は教えてくれなかった。それは、賢治自身も挫折してきたことなのだ。
(略)
「遠くを見る眼差し」を「近く」に生かすために、どうしたらいいのか。革命のように、それを成し遂げることなど、きっとできない。だれか、すばらしい指導者や、神なる者や、優れた知性をもつ宇宙人が、わたしたちを導くこともない。それは、単に方向が違うだけで「ファシズム」と変わらぬシステムだから、その方法は有効ではないのだ。
だとしたら、わたしたちに何ができるのか? 簡単で、むずかしいこと。むずかしいけれど、簡単なこと。それは、わたしたちひとりひとりが、きちんと考えていくことだ。考えるために、互いに誠実に語り合っていくことでしか、それは実現できないのだと、わたしは思う。「遠くを語る言葉」だけではなく、わたしたちは「中距離を語る言葉」を発見しなければならない。それを「近くしか見ていない」日常に取り込んでいかなければならない。そうすることで、ここを彼方へと、表層を根源へと近づけていかなければならない。そして、それをひとりひとりの心に積み上げ、次の世代へと手渡していくことこそが「文化」ではないかと、わたしは思う。
寮美千子「美しくて強靱なもの/新生Cafe Lunatiqueでしたいこと」2001年10月
「おばさんたちが案内する未来の世界」をきっかけとして何か考えたりしたくなった人がいたとしたら、きっと強い助けになると思う。
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ネットは強いなあ。6年前の満月の日にどこかで書かれた言葉に、時間も場所も超越してアクセスできる。
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