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鳩山首相も誤解!平城宮跡の「大極殿」の再現度 2010年3月13日(土)晴れたり降ったり まあまあ暖かい

きょうは一日中、上空をヘリコプターが飛んでいた。たぶん奈良県警のヘリである。鳩山首相が奈良に来て、県内あちこち視察していたからだ。
鳩山首相が来ることは知っていた。県選出のまぶちすみお議員のツイッターに書いてあったから。
鳩山首相のツイッターもあって、きょうの奈良視察を終えての感想のなかに、こんなことが書いてあった。

いにしえの都・奈良で未来への手ごたえを感じました。遷都1300年を機に、当時のままに復原された「大極殿」の威容に息を呑む思いでした。
あーあ、騙されてるよ。騙したのは誰だ? 随行の人はちゃんと説明しなかったのか?
  *
平城宮跡に完成しようとしている「復原第一次大極殿」と称する建物は、奈良時代に建っていたものとは違う。奈良文化財研究所の解説によるとこうだ。
上部構造については想像の域を出るものではなく、復原建物が既成事実として安易に社会に受け容れられることは決して望ましいことではない。
鳩山首相の言う「当時のままに復原された」とは、えらい違いだ。仮につくったものが既成事実化しつつあるのだ。恐ろしいことだ。

だいたい、「第一次」とあるように、この場所にあった大極殿は、奈良時代を通じて建っていたものではない。実は、平城京ができてから三十年ぐらい経ったとき、一時的によそへ遷都が行われている。奈良からちょっと北へ行った、いまの京都府下の加茂(木津川市)のあたりの恭仁京だ。落ち着く間もなく紫香楽宮へ行ったり難波京へ行ったりして、五年後にはまた奈良へ戻ってくるのだが、戻ってきたときには第一次大極殿はなくなっているのである。
昔は遷都するとき建物は分解して運んで移動先で再使用していた。次の移動のときはそのまま置いていったりして、ともかく第一次大極殿は解体運搬されちゃって、跡形しか残っていなかったのである。
それで、平城宮内の、ちょっと東に寄せたところに、第二次大極殿が建てられた。これもまた平城京が最終的に都でなくなるときに解体・移動されてしまい、どこかへ散逸している。
結果的に、奈良時代に建っていた大極殿のウワモノは、まったく残ってないのである。
それでしかし、スケッチでもあれば再建の参考になるところだが、それも一枚もない。
そういうなかで、どうにかこうにか想像した「復原第一次大極殿」なるものが、百八十億円の国費を投じて建設されてしまったのである。
用途は未定。
これって、文化庁経由の、建設利権の産物ってことじゃないの?
  *
わしが考える理想的な大極殿復原プランでは、バーチャル・リアリティ(強化現実)のメガネを開発して、地元研究機関と地元企業が連携してコンピュータ内の建築復原とソフト開発を行い、平城宮跡を訪れた人に見てもらうのである。
今後研究が進んで、より確からしい大極殿の姿がわかってきたら、コンピュータ内のモデルを差し替える。
このシステムなら、建物だけでなく、歴史の時間も俯瞰できる。
それまであったいくつもの古墳がぶっ壊されて平城京になって、第一次大極殿をはじめとする平城宮ができ、それが間もなく解体されて、しばらくすると別の場所に第二次大極殿ができて、それも解体されて、平城宮だったところは田んぼになって、何百年もずーっとそのままで、ある日突然いまの近鉄の線路が通って、その後田んぼを国が買い上げて史跡になって、ついには世界遺産になるという平城宮跡の歴史を、実景との重ね合わせで見てもらうのである。
百八十億円あったら、だいぶいいものができたと思う。貴重な巨木を消費することもなかった。
  *
それで、まあ平成大極殿ができてしまったものは仕方ない。どうにかいい活用方法を考えるしかない。映画のロケとか、あとは何かな。
しかし、これを「当時のままに復原された「大極殿」」などと事実に反して宣伝することは絶対に許されない。首相がそんな恥ずかしい誤解をする原因を放置してはいけない。
平城宮跡にできた平成大極殿の姿は、奈良時代のものを再現しているのではなく、想像の産物にすぎないことを、きちんと広報していく必要がある。

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展覧会:知られざる名建築〜旧奈良監獄・奈良少年刑務所の美〜 2010年3月7日(日)雨 寒い

今年のはじめから準備してきた写真展。いよいよ開幕まで二週間となった。

▼知られざる名建築 〜旧奈良監獄・奈良少年刑務所の美〜
日時:3月20日(土)〜5月1日(土) 10:00〜18:00 日・祝は休廊
場所:ナガノカメラワーク 京終画廊 電話0742−23−0306
アクセス:JR奈良・近鉄奈良から徒歩15分/市内循環バス「北京終町」下車すぐ/会場西側にコイン駐車場あり
料金:無料
内容:奈良に残された貴重な明治建築の知られざる姿を、多数の写真で紹介。
主催:ならまち通信社
後援:奈良県、奈良市(申請中)、奈良県教育委員会、奈良市教育委員会 文化庁「関西元気文化圏」参加事業

奈良では町の中にも相当に古いものが残っているので、近代建築は見過ごされがちなのだが、この築102年になる奈良少年刑務所(旧奈良監獄)は本当にすごい。間違いなく、わが国を代表する明治建築の一つだ。

しかしながら、現役の刑務所として稼働中なので、普通の人が中を見学するには、毎年九月の一般公開イベント「矯正展」しか機会がない。このときは、時間を決めて所内の見学ツアーもあって、塀の中まで案内して説明しながら見せてくれる。とはいえ、撮影はできないし、けっこう緊張するので、建物の美しさを心置きなく堪能するというわけにはいかない。

そこで! ならまち通信社では、この建物の美しさを広く知ってもらうために、写真展を企画した。
東京からベテラン写真家を招いて、刑務所の内部を、それこそ天井裏から地下室まで、徹底的に撮影してもらった。うちとは別に、芸術写真として刑務所を撮影している人がいて、ちょうど同時期に東京で展覧会があるが、同じ被写体でも、両者はまったく異なる写真になっているはずだ。こちらは、とにかく建物の記録が主眼。この建物がどんなに美しいものか、写真を見て知ってもらえるよう、明瞭に、克明に、フォルムからディテールまで、撮って撮って撮りまくった。空前絶後の撮影だろう。ここ三年の間、奈良少年刑務所の教育プログラムの講師をさせてもらっていたから、今回の撮影を許可してもらえたのだと思う。感謝。

刑務所というとふだん話題になりにくいし、実際に見る機会もない。そのため、地元奈良でもよく知られず、存在感が稀薄だった、奈良少年刑務所の建物。今回の写真展では、塀の向こうに閉ざされてきたその魅力を存分に体感してもらえる。
画期的な機会だと思う。せっかくなので県や市、教育委員会の後援もはじめて申請した。ぜひ多くの方に見ていただきたい。

なお、開催費用はすべて自腹&ボランティア。奈良の宝をみなさんに再発見してもらえるよう、がんばっています。

⇒展覧会の詳細はこちら(ならまち通信社)

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