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千葉で怒濤の十日間/葬式の「チーン」は人生の決算の音 2008年4月7日(月)曇のち大荒れ

十日ぶりに千葉から奈良に戻ってきた。
うちの奥さんの両親を近々千葉から奈良に呼んでいっしょに暮らす予定が、3月26日に母親が亡くなってしまったのだ。おととしの夏に実家近くの老人施設に入ってから体重が激減していたこともあってか、意外な早さで逝ってしまった。入院したと聞いてから十日と経っていなかった。急いで千葉に行って、葬式とかその後の始末とかで、十日間忙しくしてきた。(奥さんはつきっきりの看病から二十日間近く怒濤の日々を送っていた

祭壇 出棺
葬式は実家で、千葉市の祭壇貸出サービスを利用して、花は近所の花屋で贅沢に作ってもらった。懇意にしている寺があるわけでもないのでお坊さんは呼ばず、来た人にはゆっくり話してもらえる場をつくった。よい形で送ることができたと思う。
さらにまた妹夫妻というのが今月中にも海外赴任で日本を離れてしまうので、納骨も4月1日に済ませた。その後、父親のケアとか山のような片付けとか。人ひとり死ぬとなかなか大変だ。
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死去に際しては、周辺で事件というか「えーっ」と思うことがいろいろあった。生れて初めて、来訪客が帰ったあとに「塩をまこう」と思いついた(葬式とは別の話)。うちの葬式の翌日に石和であった親類の葬式は自宅でなくホールでの開催で、すごくお金がかかっただろうに、寂しかった。デジカメで撮った葬式の写真を即刻プリントしてアルバムにまとめる必要も生じて、これはだいぶ勉強になった。百聞は一見に如ず。デジカメの「お店プリント」は簡単で早くて安くてきれい。
結果として得た感慨は、葬儀につきものの「チーン」という音は、人生の決算の音なのだなあ、というものだった。それまでに登録された人生の諸要素の結論が、チーンという音とともに呈示されてしまうのだ。棺を覆って定まるというが、そのプレゼンテーションのあまりの露骨さにびっくりした。橋本治が山田風太郎の『人間臨終図鑑』の書評で「これは後ろから見た偉人伝である。どんな人間も、背後からだと隠しようもなく丸見えである」という意味のことを書いていたのを思い出した。
教訓としては、片付けは日頃からしておくべきということがたいへん強く痛感された。反省した反省した。

墓碑銘
写真:市営墓地にあるお墓。墓碑銘は寮美千子による

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