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河瀬直美の作品/さまざまなものを放棄した『殯の森』 2007年5月29日(火)晴のち曇 風強し

きょう、NHKハイビジョンで河瀬直美の新作映画「殯の森」が放映された。見てみて、「ああ、よかった」と思った。といっても、作品をほめたのではない。

話は去年の夏まで遡る。
奈良県が出しているメールマガジンのひとつに「大仏さんのつぶより情報」というのがある。興味深い奈良の情報を、じつにタイムリーに告知してくれて、とても頼りになるメールマガジンだ。奈良に興味のある人には絶対のおすすめ。7月25日に配信された182号に、こんな告知が出ていた。

奈良在住の映画監督、河瀬直美さんって知ってるよね。カンヌ映画祭カメラドール賞(新人監督賞)を史上最年少で受賞された方だよ。その受賞作である初監督作品『萌の朱雀(もえのすざく)』(1997年)はもとより、つづく『火垂(ほたる)』(2000年)、『沙羅双樹(さらそうじゅ)』(2003年)も一貫して奈良が舞台。奈良の古い街並みや、お水取り、バサラ祭りなんかも作品中に登場してきて、奈良県民としてはどの作品もわくわくのしっぱなしなんだ。
そんな河瀬監督が、つい先日からまたも奈良で新作『殯の森』の撮影を 開始した。今回、撮影地に選ばれたのは奈良市田原地区。茶畑や高原の風景が新作のロケーションにぴったりなんだって。
(略)
そんな『殯の森』を応援する〈ひとコマもがり〉というサポート制度があるので紹介するね。
サポート方法は簡単! 最寄りの郵便局から1口2,000円を[郵便振替 00970-9-245449(口座名:ひとコマもがり)]に振り込むだけなんだ。
サポーターには、次の3つの特典あり。
1)実際に撮影された映画の35ミリフィルムを1口あたり1コマプレゼント。
2)来年初夏に予定されている特別試写会(なら100年会館など、県内6カ所)に無料ご招待。
3)完成時のパンフレットにお名前を掲載。
パンフに名前が載ると、いい記念になること請け合い!
払込取扱票通信欄には、郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・電話番号の記入をお忘れなくね。振込手数料はサポーター各人の負担になるけど、ご容赦を。〆切は9月30日。何口でもサポートできるんでよろしくね。
撮影は暑い最中、8月末まで続く予定。完成が楽しみだ!
県のメールマガジンにこういう宣伝が載るのは、びっくりしたけど、まあそういうものかもしれない。この〆切は延長を繰返して、けっきょく、今年の4月末がパンフ掲載の最終〆切となった。
せっかく奈良の、それも過去の作品の舞台になっている奈良旧市街に住みはじめたんだし、新作が完成しても見るチャンスはなかなかないかもしれないし、チケット代と応援気分で二千円はまあまあリーズナブルかな、「ひとコマもがり」応募しようかな、とも思ったのだが、ろくに作品を見ないで応援するのも何だなという気分もあって、放置してあった。それまでに見たのは『萌の朱雀』のみ。以前WOWOWでかかったときに録画したのを、早送りで見ただけだった。それは見たとはいわない。
そうこうするうち、今年の3月10日と11日、JR奈良駅前の立派なホール「なら100年会館」で、河瀬直美作品の上映会が開かれた。よし、フィルムで作品を見て、新作を応援するかどうか決めよう、と思って見に行った。『萌の朱雀』『火垂』『沙羅双樹』の三作品がかかったうち、『萌の朱雀』と『沙羅双樹』を見た。
なら100年会館の大ホールは、とても立派なのに、なぜか映写室がない。なので、客席のうしろに映写機を据えて、すっかり自主上映会の雰囲気。

初日は『萌の朱雀』(1997)を見た。上映環境でよかった点は、ビデオと違って早送りができないことだ。いやそれだけでなく、テレビ放映されたのはプリントもよくなかった。フィルムで見ると、谷底から天までのびる、山の緑が美しい。このトーンはテレビ画面では出ないなあ、と思った。
脚本と編集は、かなりひどい。場面転換で、その間に十年経ったことがしばらくわからない。あらまだほかに家族がいたのか、と思ったら、さっきの子どもの成長した姿だった。あるいは、メインの女性がその家の母親だとは映画の最後までわからなかった。話の鍵となるエピソード、父親が過去にトンネル工事に従事していたことは、あとで設定を読むまでわからなかった。当時の淀川長治の批評に首肯する。欠点はありすぎるほどあるが、新人監督のデビュー作という保留をつければ、まあ次回作に期待(及第点)とはいえる。

翌日は『沙羅双樹』(2003)。その時点での最新作。カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品されたが無冠に終った。これはひどかった。ほめるべき点が見つからない。ならまち周辺の光景が映るので「あそこ知ってる」「これはあの店」と思う以外に楽しみがない。無意味な長回し、なぜカットを割らないのかまったく理解できない。過剰な手持ち撮影で“画面酔い”しそうになる。息をのむ場面といえば、登場人物は動いてないのに、なぜか足音がする。それはカメラマンの足音か。どういう音響だ。そして『萌の朱雀』以上にいかんともしがたい脚本。今回も登場人物の基本設定が作品中で理解できない。ともかく、こんなひどい映画は見たことがない。珍品とはいえる。

『火垂』は見なかったが、二作を見ての結論は「推して知るべし」。「ひとコマもがり」に応募する気は失せたのでした。

その新作『殯の森』はどうなったのかなあ、と思っていたら、カンヌに出品したとのこと。そしたら二等に入ったとのこと。もしかしてすごく進歩したのかな、でもカンヌだからエキゾチシズムが評価されただけかもしれないし、“変な映画”だから票が入った可能性も。でも見ないと何とも言えないな、と思っていたら、NHK-BSハイビジョンでかかるとのこと。何じゃそりゃ。

NHKは、河瀬直美監督の受賞作「殯の森」を、二十九日午後八時から衛星ハイビジョンで放送する。
映画を一般公開前に放送するのは珍しい。NHKは「河瀬監督の作品であること、テーマとなっている認知症のキャンペーンを(局で)展開していたことなどから、昨年夏の時点で放送権を購入していた」と説明している。
『殯の森』カンヌでグランプリの河瀬直美監督 称賛の声 “映画作家”の地位確立(東京新聞、2007年5月29日)
一般公開前どころか、完成前から応援してきたサポーター向けの「特別試写会」の一月前ですよ? WOWOWが自社製作の『犯人に告ぐ』を公開前にスクランブル放映するのとはわけが違う。しかも、普及しているとはいいがたいハイビジョンでは、見られない人も多いだろう。その気分、いかばかりか。
  *
牧野省三の「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」という観点からすると、『殯の森』は、三つとも落第である。
脚本(スジ)は例によってひどい。画面(ヌケ)は、色調はよいが構図はボロボロ。安定感と必然性に欠ける手持ち撮影を見て「ドキュメンタリーの手法」とか言う人は、ドキュメンタリーをバカにしている。演技(ドウサ)は、素人と俳優のレベル調整が皆無で、どちらも浮いてしまい、作品として悲惨なことになっている。ついでに言うと、音響もひどい。とくに効果音は、画面に「ここで雷鳴が轟く」と出るが如くの記号でしかない。貧しすぎる。
脚本は、ほかに表現のしようがなくて困るのだが、ひどい。合理性を無視した場面が目白押し。納得できない点を累積しながら映画の進行を追うのは、大変な苦痛を伴う。どうして脱輪したときソッコーでケータイで助けを呼ばないか。その他、いや、列挙してもしょうがないのだが。
牧野省三の哲学は娯楽映画についてのものであって『殯の森』はそのような観点でつくられた映画ではない、という意見はあるかもしれない。なるほど。では『殯の森』がどんな観点からつくられた映画かというと、「わたしのつもり」とか「ご都合主義」としかいいようがない。「映画」から、脚本と画面と演技と音響のよさを捨て去ったもの。それが『殯の森』かもしれない。
ただ、この映画で、宇多さんだけはものすごくよかった。むしろ、作品のタイトルを『うだしげき』にしたらいいと思う。最後のテロップには、「ちちろ」の宣伝を入れたらいいのではないか。
いやー、「ひとコマもがり」に応募してなくて、よかった。
  *
これだけだと単なる悪口のように見えるので、『殯の森』の詳細な批評はあとで書きます。

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戦闘機飛来/非論理とテロの連関 2007年5月28日(月)晴 朝涼しく、昼暑く、夕方寒く

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きょう、埋蔵文化財調査センターで遺物の洗浄をしていたら、轟音が響いてきた。相模大野では日常茶飯だったが奈良ではとんと聞かない、戦闘機の飛行音。見ると、どうやら2機づつ、2組の戦闘機が飛んでいる。F-4のペア、F-15と練習機?のペアだと思ったが、違うかもしれない。奈良の人は轟音に慣れていないので、みんなびっくりしている。去年は思わず市役所に電話してしまったが、たぶんこれも基地祭の練習だろう。
帰ってから調べてみたら、やっぱりそうでした。今年の奈良基地祭は6月2日。告知ページには「展示飛行の予行を、5月28日(月)の1310~1330の間で予定しております」とも書いてあったが、広報とかに載せてくれないと、知らんわなあ。
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きょう、松岡利勝農水相が殺された。前々から、「論理・道理を否定した答弁を続けていると、テロの呼び水になるのではないか?」と思っていたのだが、懸念したとおりのことが起きてしまった。外部のテロリストでなく、本人が自殺テロを敢行したのは意外だったが。
人間は意外に論理的なので、筋の通らない話が続くと、聞いている方はどこかしら具合が悪くなったり、怒り出したりする。松岡大臣は、すさまじい答弁をしていた毒が自分に回ったのである。大臣のくせに全てを投げ出して自死した無責任さは許せないし、残念だ。できれば生き返って、反省してほしいところ。

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